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2011.08.26

Starting Line

春から体調を崩している母。

近くで観ていて感じるのは、

きっと、私たち家族が知り得ない、

今までの人生におけるストレスや疲れ、寂しさ、戸惑いや不安などありとあらゆるものが、

ちょっとした変化がきっかけとなって、膿となり溢れ出しているんだろうと。

それが今、彼女の体と心に押し寄せているんだろうと感じています。

そこに、更年期で自律神経のバランスを崩すことが重なります。

「これからの人生を見直すいいきっかけになったと思うわ」。

そういって、辛抱強く自分に寄り添っています。

頭を上げることができるようになってきて、

自ら生活のリズムを整えようと、探るように未知の自分とのやりとりをしています。

起床前後の水分補給、呼吸と運動、力を抜く練習、食事。

午前と午後のすることと、したいことのバランス。

何もしたくないことに気づき、その自分を許し、気楽でいることにチャレンジしています。

この世代の人は、

頑張ることが人生そのもの、自分の存在価値そのものとなっている傾向も強く、

力を抜くのが、本気でわからなかったりします。

わからないんですね。

みなさんも、同じようなこと、ご両親にみるかもしれません。

うちの母は、ちょっと信じられないくらいのエネルギッシュな人で、

専業主婦ではあっても、

好きなことを探求するため(ここは私がよく似てるとこ、血筋ですね)、

ずっと、ずっと、忙しい日々を送っていました。

ただ、今までに数回、パタっと突然倒れ、救急車で運ばれたことがある程、

ちょっと自分に容赦のない人でもあるのです。

小さい頃、子どもながらに心配で、母がちょこっと横になって眠っている時など、

ちゃんと呼吸しているかを、そっと確認し、胸をなでおろした記憶がたくさんあります。

そんな母が60代半ばにして、

ようやく、体の声を本気で聴こうという時間を得ました。

神からの、いえ、自分の奥深くからの声です。

今までのあり方が、今の自分を表現しています。

残酷なようですが、こうなるのは当然だったのだろう。

必要だったんだねと母とふたりで話しています。

ここを通らずして、先に歩みを進めることは難しい。

毎朝仕事に行く前、父は母に、

いろんなリクエストを受けながら(はは)、肩をマッサージをします。

私はその後、少し座って話す時間を作ります。

家族の理解が、つながりが、今の母にはとても大切。

私たちの今までの母とのやりとりも、関係しているのだから。

「どんな調子?今日の予定は?」

「うん、いいわよ。今日は午前中に整体に行って、午後は家でゆっくりするわ」。

「そうか。まだ暑いから、くれぐれも無理のないようにね。

ちょっとしんどいと思ったら、すぐに休んでね」。

「うん、そうするわ、ありがと」。

とてもスムースなやりとりです。

以前は、母のあり方のある部分が、私をとても苦しめていました。

なんだか馬が合わない人だと、ずっと思っていました。

絶妙な最悪のタイミングで、

朝の忙しい時に話しかけどうにかしようとする姿勢にうんざりしていました。

母親という役割からなのか?

私を自分の管理すべき存在だと思っているのか?

普段は問題なく過ごしていても、そこは面倒で深くコミットすることを避けていました。

いいかげんに、こんなのは嫌だ、なんとかしようと、

「お母さん。私は、お母さんの持ち物じゃないのよ。ものすごく失礼よ」と、

ゆっくりと、怒りを交えた真剣な表情で思いを伝えると、

母は、一瞬にして「はっ」とした顔になり、

私がひとりの独立した、自立した存在だといくことに気づいたようでした。

「ごめんなさい。もうしないわ」。

めずらしく謝った母に、今度は私が驚きました。

こうして、その後の母と私の関係性はガラっと変化していきました。

私が責任をもって社会で仕事に取り組み、

社会人で大学に入りなおし学びたいことを探求し、

クリパルヨガに出会って、

そうやって、私が本当に大人になっていった積み重ねの延長線上に、

今まで避けていたことを体験しなおすという選択がありました。

そして、本当に欲しかった、今があります。

6月のある日、いつものように、

母にマッサージとプラーナエクササイズをしていた時のこと。

母は「はああああ」と口から大きく息を吐いた後、

ポロポロと溢れるように涙を流し、

結婚する前のこと、そして結婚してから今までのことを話し始めました。

「ああ、お母さんが泣いてる」。

「きっと、きっと、これで大丈夫だ」。

あれから2ヶ月。

おかげさまでずいぶんと生き生きとしてきました。

声にも、足取りにも、そして、目の力、光がぜんぜん違います。

お母さん、よかったね。

ホント、よかったね。

母とつながることは、深く自分とつながること。

自分に向ける信頼が深まっていくことでした。

私にとって大切な人だということはどうでもよく、

彼女が、より自分らしく、残りの人生を謳歌してほしい、

自分の心から望むことに気づいて、選んでいってほしい。

なんの思い込みもブロックも手放して。

そう、切に願っています。

今、お母さんは、Starting Lineに立っている。

私にできることは、ただひとつ。

ただ近くに寄り添うこと。

こうして、お母さんとしっかりとつながることは、

残された私の人生でも、なくてはならないものだった。

私にとっても、今、ここが、Starting Line。

私が生まれる前、背中に羽をつけた天使だった頃、

雲の上から、母を選んで地上にやってきた。(んだと思っている。)

私には、彼女が必要だったんだ。

苦手で必要な人。

今は、心から信頼し、尊敬する、ちょっとかわいい私の母であり、ひとりの女性です。

お母さん、ありがとう。

雲の上からちゃんとみつけた私も、エライ!

涼しくなったら、一緒に、温泉にでもいこうね。

ああ、その前に、映画と買い物も楽しみ。

あなたがあなたでありますように。

私が私でありますように。

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